<連絡先>
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静岡県牧之原市相良262−20
☎ 0548-52-0208
fax 0548-52-0208
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★ 私たちの願い
『一羊会:一匹の羊の会』という名前は、聖書の中の言葉からとりました。
「ある人が100匹の羊を放牧していて、その内の1匹が道に迷ってしまいした。その時99匹がいるからいいというのではなく、99匹を待たせてでも、その1匹を探しにいきましょう。そしてその1匹が見つかったら、その1匹のために喜びましょう。このように小さな者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。」という言葉から付けられた名前です。ハンディを持つ、持たないに関係なく、一人ひとりが大切にされる社会のための一役となるよう歩んで行きたいと思っています。
★ はじまりの頃
社会福祉法人一羊会では現在、牧之原市内で福祉施設を運営しています。法人の設立は昭和47年3月31日ですが、その前から「相良保育園」を運営していました。戦後の復興に大人たちが取り組む中、地域の子どもたちを守りたい、と日本キリスト教団相良教会会員により昭和23年1月に教会の牧師館を使って保育を始めました。その年の12月に児童福祉法による保育所として県より認可を受けました。
つくしの家ができる前、保育園に知的なハンディを持った女の子がいました。その子は、よく保育園の門から飛び出してしまったり、保育園の近くの家に上り込んでしまったり、みんなと一緒に座って遊んだり活動することがなかなかできませんでした。たくさんの子どもたちと一緒の保育園という場所は、きっとこの子にとって大変なことなんだろうと思い、この子どもたちが安心して過ごせる場所があるといいなと思いました。でも、その頃はハンディを持った子どもたちが、家から通えるような場所(施設)はどこにもありませんでした。そこで、当時の園長は相良の町の中で、そういう園ができる場所をあちこち探し、そして当時この場所にあった相良海浜病院の部屋を貸していただけることになりました。こうして3人の子どもと1人の保母(保育士)により、6畳1間の部屋から「つくしの家」が始まりました。静岡県で一番最初にできたハンディを持つ子どもたちが家から通える施設です。
★ どんな時代だったのでしょう
「つくしの家」ができた当時は、まだ今のように“福祉”とか“ボランティア”“バリアフリー”“ユニバーサルデザイン”というような言葉があまり使われていなかった時代です。ハンディを持つ方への理解も今よりもずっと低く、ハンディを持った人たちは、今のように町に出て行ったりすることもほとんどなく、家の中で生活をしていました。近所の人たちもその家に、ハンディを持った人がいることもよくわからなかった時代です。その人たちを、家から世の中に出そう、家でずっと介護している家族の負担を軽くしよう、という2つ
の目的で日本各地に入所型の施設を作ろう、作ろうとしていた時代でした。
その頃にたくさん作られた入所型の施設は、ハンディを持つ人たちが24時間生活する施設であるため建物を作る広い場所も必要であり、地域の方の理解もまだ少なかったこともあり、町中から離れた場所に作られることが多かったのです。でも、『施設は小さくていい。施設は町の中になくてはいけない。子どもたちが、もし飛び出してしまったら、町の人たちが連れて来てくれる。子どもたちが出やすいってことは、町の人たちも入りやすいということ。だから、門も柵(さく)も作ってはいけない。ハンディを持った小さな子どもたちだからこそ、家族と離してはいけない。家族の愛が、ハンディを持つこの子たちだからこそ必要である。』……「つくしの家」は、こんな思いから始まりました。
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これまでの歩み
「つくしの家」の歩みと共に、利用する小さな子どもたちから、開園当時から通う人たちで年令の幅も広がってきたため、昭和56年に大人の方のための「つくし作業所」、生活寮として「つくし寮」を開設しました。昭和63年度の制度改正により、作業所から日中の生活訓練の場所として「つくしホーム」に移行しました。また、平成19年度からは、市内の手をつなぐ育成会が運営していた「こづつみ作業所」、「第2こづつみ作業所」が、平成21年度からは作業所に通う人たちのための寮「こづつみ寮(男子寮)」と「第二こづつみ寮(女子寮)」が傘下に入りました。平成25年3月末は、国・県・市の施設整備補助を受け「第2こづつみ作業所」、「こづつみ寮(男子寮・女子寮)」を、市有地(旧大沢保育園跡地)をお借りし移転建設をおこないました。平成26年4月より、牧之原市より指定管理者の指定を受け「牧之原市立あおぞら保育園」の運営が始まりました。にぎやかな毎日です。
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